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 別にぼくは法学部の学生っていうわけじゃないんです。

 でもぼくの大学には、夏休みと後期の半年かけて準備をし、最後に模擬裁判をするという一風変わったゼミがあります。
 ゼミは実際に法廷傍聴に行くところから始まり、その後弁護士の方に指導役としてそれぞれついてもらい、弁護士、検察官、裁判官の3サイドに分かれます。そして、各人へ実際にあった事件の調書が渡されるのです。ぼくの時は、医療が関わった夫婦間の嘱託殺人でした。ただし、人物や団体の名前は換えてあり、実際の判決は知らされません。
 ここからが本番で、各サイド調書の読み込みや事件の時系列作成などが始まります。ある程度読み込みが煮詰まった時点で、弁護サイドからは被告人役を、検察サイドからは検察サイドが呼ぶ証人役を、それぞれ選びます。この時点で被告人、弁護士、検察官、裁判官、証人という裁判の登場メンバーが出揃うのです。
 そして残りの期間、それぞれ自分の役へ徹することになります。
 ちなみにぼくは弁護士役でした。もちろん、ぼくは弁護士になれるほど頭もよくありませんし、法律の知識など皆無でした。ただ、調書を読んでいるうちに不思議と意志が固まるのです。被告人と被害者の生い立ち、被告人が被害者の嘱託を受けるに至った経緯、その時のどうしようもない気持ち、彼らをその道へと導いたあまりに杜撰な社会体制。とにかく、そういった被告人の気持ちを裁判官へ伝える手伝いをしてあげたい。それに尽きるのです。
 迎える模擬裁判当日。公平の天秤を胸に、被告人の弁護へ望みます。でも、やはり半年という短い準備期間、浅い知識と経験、限られた裁判時間でその気持ち全てを代弁できるはずがありません。冒頭陳述、証人尋問、被告人質問、という裁判で弁護サイドの主張をするどの機会でも、思うように弁護できたと言う実感は持てませんでした。そして、他の弁護担当の人が読みあげることになっていた最後の主張、最終弁論へその役を委ね、悔しさと申し訳なさでいっぱいの気持ちがこみ上げるのを必死で堪えながら、それを聞いていました。
 そんな思い出のある模擬裁判も、裁判メンバーとして参加してのは去年のことです。先日、今年度の模擬裁判がありました。ぼくは個人的都合で傍聴しに行くことができなかったのですが、やはり傍聴しに行った友達や去年弁護サイド担当だった先生は、今年も去年と同じように熱い模擬裁判だったと言っていました。
 思うに模擬裁判とは、ドラマや映画のように巧く裁判をすることや、法律の知識を学ぶことが目的ではないように感じます。一見同じに見える社会には、いろんな人のいろんな人生があって、皆それぞれの違った価値観で社会を見て、生きている。些細なことだけど、頭の片隅に少しでもそういった考えを持つこと、それがどれだけ大切か、そんなことを感じ取れればいいのかな・・・と冷静に思い返してみるとそう感じます。
 きれい事と笑われるかもしれませんが、ぼくもそういう思想を持った、人の立場に立てる大人になれたらいいなと思う今日この頃。


 久しぶりにリアル日記が書きたかったのですが。。1年ぶりの行事だったのでつい長々と教訓じみたものに・・・適当に読み飛ばしてくださいpq
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